大阪白樺山岳会は 1959(昭和 34)年 6 月に設立されました。2024 年 6 月で創立 65周年になります。 今の JR 大阪環状線の桃谷駅界隈に住んでいた 19~20 才の青少年が 10 名くらい集まって創立しました。
当時の日本の山岳界では1956年にヒマラヤのマナスル峰(8163m)に日本山岳会隊が初登頂しました。これは日本としては初めての 8000m峰登頂であり 《この成功は戦後の日本に空前絶後の登山ブームを巻き起こす社会現象になった》といわれました。それこそ ”雨後の筍“ のようにそこにもここにも「山岳会」ができた時代でした。 そういう雰囲気の名残りの中から生まれた山岳会です。
『白樺』というネーミングは「白樺」という木が白い木肌を持ち青空を背景に高原に揺れている姿が日本人にとても気に入られていたからだと思います。カフェにもレストランにもホテルにもあちこちに『白樺』はありましたし、今もあります。
この 65 年間を振り返ってみますと、その足跡は50 年小史の序に書かれているとおりであろうと改めて思いました。次に引用します。
『大阪白樺山岳会 五十年小史』 (2009(平成 21)年刊)の序
昭和 34 年 7 月 19 日第1回山行、東六甲・芦屋川から仁川渓谷、 平成 21 年 4 月 19 日山行、東六甲・蓬莱峡。 最初も六甲、五十年後も六甲、これが大阪白樺山岳会です。 華々しい海外登山の記録はない。 峻烈を極める冬の岩壁開拓記録もない。 前にも後にも、ただただ重巒あるのみ...です。
重巒(ちょうらん)とは「重なりあった山また山」の意。
なお、主な活動歴は「大阪白樺山岳会六十五年小史」(ここをクリックするとPDFが開きます)をご覧下さい。また、創立当初からの会報、年報等の出版物は国立国会図書館と大阪府立図書館でご覧になれます。 (2024.02.08 杉本)